2009年08月24日

越後から会津へ

雪深い冬の季節には、越後の上杉は動くことが出来ない。

豊臣秀吉は自分の老い先短いことを憂い、気がかりの徳川家康と伊達政宗に睨みをきかすために上杉を会津に国替えさせようとします。

豊臣秀吉と石田三成の信頼厚い上杉に、何とか豊臣秀頼の政権を守るべく働きを頼んだわけです。

兼続はこの国替えが戦の世に戻さない義のためのものと思い、景勝に進言、国替えを決断します。

現代のように交通機関が発達し、他県の情報も分かっているなら、他県への引越しもそれほど苦にはならないでしょう。

しかし、戦国時代には国替えは命がけのものといっても言いすぎではないでしょう。

生まれ故郷の越後に2度と戻ってこれない可能性が大きいわけですし、行き先の会津がどういった所か不安もあったでしょうから。


2009年08月13日

子役の加藤清史郎が、直江兼続の長男・竹松役で再出演

加藤清史郎

今や大河ドラマの子役だけでなく、コマーシャル等でも活躍している人気子役・加藤清史郎が天地人に再出演します。

直江兼続の幼少期の回想シーンではなく、直江兼続の長男・竹松役としての登場です。

直江家の2代にわたる子役を演じるとは、すっかりと天地人の出演者の顔になりつつあります。

「わしはこんなとこ来とうはなかった!」というセリフが一躍人気となったわけですが、竹松役ではどのようなセリフがあることか楽しみです。



天地人の戦国乱世名将・智将の時代
posted by 天地人 at 14:21 | Comment(1) | TrackBack(0) | 大河ドラマ 天地人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年07月27日

豊臣の天下を築くために

石田三成

豊臣秀吉による天下統一は果たされたが、豊臣の天下を磐石にしない限りは、また戦乱の世に逆戻りしかねない。

豊臣の天下を磐石にするために力を尽くしていたのが、石田三成。

石田三成は、豊臣秀吉の政を非難する千利休を切腹に命じたり、地方大名の正室をなかば人質として上洛させたりするなど、新しい政策を実行にうつしていきます。

強引にも思われるやり方に対して、直江兼続は情けを忘れれば人はついてこないと言い寄る。

石田三成は、自分の信念に基づいて行っているのでしょうが、このことを理解する人物はほとんどおらず、人徳のなさが最後は命取りになるわけなのだが、この話はまだ先のことに。



石田三成
2009年07月13日

独眼竜政宗登場

伊達政宗

当時は情報伝達の手段は手紙くらいしかなく、遠い地方へと連絡が届くのも数日を要す時代です。

今ならば、テレビやラジオ、インターネットなどで、瞬時に情報が全世界に伝わりますから、自宅にいながらも世界の出来事を知ることが出来ます。

奥州の覇者である独眼竜政宗こと伊達政宗にとって、京での豊臣秀吉に関する情報も少なかったのではないでしょうか。

また、直江兼続たちが考えていたような、戦の時代はもう終わり政宗の考えは古いと言われても、ピンとこなかったのではないでしょうか。

奥州は、まだ群雄割拠の状況が続いており、戦は続いていたわけですから。

現代でも、平和で人権や人命が何よりも大切であると当たり前に思っている考えが、通用しない国があります。

我々とは価値観が違う訳ですから、向こうの言い分として、日本を攻めることだって考えられます。

日本は攻められた際の防衛力を本当に持っているのでしょうか。戦争の抑止力を保持しているのでしょうか。

無防備な状況でいると、伊達政宗が滅ぼした会津の芦名家と同じ運命を辿ってしまいかねません。



伊達政宗
2009年07月08日

兄と弟の別々の苦しみ

戦国時代は、親子兄弟での争いは珍しくなく、与六(直江兼続)と与七(小国実頼、後の大国実頼)のような兄弟はどちらかというと珍しいかも知れない。

しかし、兄の兼続は弟の実頼を自分の許に置き、一人前に育てようとするが、逆にこのことが実頼を苦しめることになる。

源氏の流れを汲むという小国家へ婿入りした実頼は、妻お栄(小沢真珠)や義父母から手柄のないことを責められてしまう。

兼続はそんな実頼に、上杉景勝の名代として豊臣秀吉の聚楽第落成の祝いの使者の任務を与え、上洛させる。

実頼と会った秀吉は、実頼に官位を授け、さらに茶々(深田恭子)からは名字を小国から大国にするよう言われる。

越後に戻った実頼に対して、兼続はなぜ官位を受けたのかと強く責めるが、実頼は官位を授かったことを妬んでいると、けんかになってしまう。

その翌年に、秀吉から再度の上洛の知らせが届き、景勝、兼続は、実頼を同行し、上楽する。

秀吉に会った兼続は、上杉の忠義に官位は無用と毅然とした態度で言い放ち、秀吉は謝罪する。

その会見の場の一部始終を見ていた実頼は、兄兼続の姿勢に自分の足りないものを感じ入り、今まで自分が兄にどれだけ助けられ、また甘えていたかを痛感する。

早く一人前となるためには、兄兼続の許を去り、あえて厳しい環境に自分の身を置かなければならないと悟った実頼は、京に残してほしいと頼むのだった。

安住の地に身を委ねていれば、生きていくにはとても楽なのですが、疑問も持たず生活していくと、人間的な進歩はありません。

あえて、安住の地を捨て、厳しい環境で新たに生活することが、ひとまわりもふたまわりも人間を成長させることは、今も昔も変わらないのです。

上杉かぶき衆

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