戦国時代は、親子兄弟での争いは珍しくなく、与六(直江兼続)と与七(小国実頼、後の大国実頼)のような兄弟はどちらかというと珍しいかも知れない。
しかし、兄の兼続は弟の実頼を自分の許に置き、一人前に育てようとするが、逆にこのことが実頼を苦しめることになる。
源氏の流れを汲むという小国家へ婿入りした実頼は、妻お栄(
小沢真珠)や義父母から手柄のないことを責められてしまう。
兼続はそんな実頼に、上杉景勝の名代として豊臣秀吉の聚楽第落成の祝いの使者の任務を与え、上洛させる。
実頼と会った秀吉は、実頼に官位を授け、さらに茶々(
深田恭子)からは名字を小国から大国にするよう言われる。
越後に戻った実頼に対して、兼続はなぜ官位を受けたのかと強く責めるが、実頼は官位を授かったことを妬んでいると、けんかになってしまう。
その翌年に、秀吉から再度の上洛の知らせが届き、景勝、兼続は、実頼を同行し、上楽する。
秀吉に会った兼続は、上杉の忠義に官位は無用と毅然とした態度で言い放ち、秀吉は謝罪する。
その会見の場の一部始終を見ていた実頼は、兄兼続の姿勢に自分の足りないものを感じ入り、今まで自分が兄にどれだけ助けられ、また甘えていたかを痛感する。
早く一人前となるためには、兄兼続の許を去り、あえて厳しい環境に自分の身を置かなければならないと悟った実頼は、京に残してほしいと頼むのだった。
安住の地に身を委ねていれば、生きていくにはとても楽なのですが、疑問も持たず生活していくと、人間的な進歩はありません。
あえて、安住の地を捨て、厳しい環境で新たに生活することが、ひとまわりもふたまわりも人間を成長させることは、今も昔も変わらないのです。
大国実頼